整備士だった私が英語を話せるようになるまで|ワーホリ×留学×独学のリアル記録

英語学習についてのあれこれ
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もともと私は、自動車整備士として日本で働いていました。 英語とは無縁の人生。

英語自体は好きで学生の時に英語塾にかよったりもして、学校での英語の成績は悪くなかったけど、話すなんて全く無理。外国人と話すなんて、別世界の話だと思ってました。

でも今、私は外国人と英語で会話ができます。旅先でも困らず、海外の職場でも会話が成立するレベルです。

この文章を書いている今も、英語がペラペラなわけではありません。文法も忘れかけてるし、久しぶりに話すと口が回らなかったりします。

だけど、間違いなく「通じる英語力」は身についたと感じています。

この記事では、そんな僕がどうやって整備士から英語を話せるようになったのか、そのリアルな過程をシェアします。

完璧じゃなくてもいい。外国人とコミュニケーションがとれるようになりたい人に、少しでも勇気を与えられたら嬉しいです。

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整備士として働いていた頃、英語なんて関係なかった

私は20代前半、整備士としてフルタイムで働いていました。

英語なんて必要ないし、仕事に関係なかったです。

そんな私でしたが、思い切ってオーストラリアにワーキングホリデーに行くことにしました。前々から海外で生活してみたい、実際に英語を使う環境に行ってみたいと思っていたからです。

初めての海外生活は刺激的で、「やっぱり英語ができたら、もっと楽しめそうだな」と何度も思いました。

最初は英語もろくに話せず、現地の人の言ってることも聞き取れない。でも、買い物やホステル生活の中で、少しずつ「慣れてきた」感覚はありました。

とはいえ、1年の滞在を終えたとき、「話せるようになった」とは言えないのが正直なところでした。

そんな経験を経て日本に帰国。今度は観光地である白馬や屋久島などで働き、外国人と話す機会が自然と増えていく環境を作るように意識していました。

そして、もっと英語を話せるようになりたいと思いもさらに強くなった時期でした。

フィリピン留学で「話す」ための英語を学ぶ

その後、英語力を本格的に伸ばすきっかけになったのが、フィリピンでの語学留学でした。期間は約4ヶ月。

最初のワーホリを終え、日本でしばらく働いた後に「やっぱり英語をちゃんと身につけたい」と思い、フィリピン行きを決意しました。

選んだ理由は、マンツーマンレッスンが多くて、費用も抑えられるから。

当時の私は、闇雲に英語のテキストをやったり、文法を勉強してみたら、映画を英語のみでみたりとなんでも使えるものは使っていました。 でも、どうしても実際に話すと言うアウトプットの場が少なかった。

それもあって、語学学校では毎日先生と1対1で話す時間があるので、強制的にアウトプットの場ができると思いフィリピンに行くことにしたのも理由の一つ。

授業でやったのはこんな感じ:

  • 毎日1時間のスピーキング練習(自由会話、写真描写など)
  • 文法のやり直し(中学英語レベルを中心に)
  • 英語で意見を言う練習(ディスカッション形式)
  • 発音の学習・練習(先生に発音を直してもらっていた)

何度も間違えながら、英語を口に出すことに慣れていった感覚があります。

語彙や文法よりも、「話すことへの恥じらい」が少しずつなくなっていく。これは大きな一歩でした。

ワーホリ生活で生きた英語を吸収する

最初にオーストラリアへワーホリに行ったとき、正直なところ「英語が話せるようになった」という実感はほとんどありませんでした。

確かに、生活の中で英語に触れる機会は多く、買い物やシェアハウスでの会話には少しずつ慣れてきました。 でも、深い話をするには語彙も文法も足りなくて、いつも相手の反応を見ながらなんとなくでやり過ごしていた感覚です。

よくいわれるのが、「日本人は笑って誤魔化すことが多い」。
私も、わからない時は笑って誤魔化していた経験が何度もあります。

というのが、最初の1年を終えたときの現実でした。

それでも、この慣れた感覚があったからこそ、もっと話せるようになりたいという思いが芽生え、次のフィリピン留学や再渡航につながっていきました。

フィリピン留学の後、再びオーストラリアでワーキングホリデーを始めました。

現地ではホステルスタッフ、ドミノピザ、タイヤショップなどいろんな仕事をしながら生活。

その後、カナダ・ニュージーランドでもワーホリビザで滞在し、最終的には整備士としても働くことになりました。

特に印象に残っているのは、ローカルの人と一緒に仕事をしたときは、教科書では学べない、リアルな英語。 スラング、早口、職場でのジョークや皮肉などなど、そのような環境に毎日身を置いて、最初は本当に何もわからなかった。

でも、働きながら覚えた言葉やフレーズは、今でも忘れません。

「やっぱり言葉は現場で覚えるのが一番強い」

これはどの国でも共通して実感しました。

英語が話せることで得た自由

英語を話せるようになって一番よかったのは、「選択肢が増えた」こと。

  • 旅先で困らない
  • 外国人と友達になれる
  • 海外でも仕事ができる

特に仕事面では、「英語ができる=頼りにされる」という場面も多かったです。

全ての仕事ができるかと言われると、まだまだ私の英語力では歯がたたないかもしれませんが、仕事が見つからないっと言うことは少なくなりました。

もちろん、完璧な英語じゃないし、言いたいことが出てこない場面もたくさんありました。

でも、伝えようとする姿勢や、ある程度の語彙力があるだけで、相手もちゃんと受け取ってくれる。

「話せること」よりも、「伝えようとすること」に価値がある。

そう思えるようになったのが、私にとって大きな変化でした。

今は英語を使う機会が減ってしまったけど…

実は、この記事を書いている今、英語を使う機会はほとんどありません。日本に戻ってからは、再びITや接客の仕事に戻って、英語とはちょっと距離ができてしまいました。

だけど、それでも「英語ができる自分」は、ずっと残っています。もちろん忘れかけている単語もあるし、リスニングも衰えたと思う。

でも、またいつでも戻れる感覚がある。

それは、過去に英語で生きた時間があったからだと思います。

実際に、数年越しにワーホリで知り合った友達が日本に旅行にきた時も、当時と同じように普通に会話もでき、一緒に観光を楽しんだりすることもあります。

英語はできるようになるまでの過程が一番おもしろい

今でも私の英語は完璧とは言えません。
映画のセリフが全部聞き取れるわけでもないし、ネイティブのように流暢に話せるわけでもない。

でも、言いたいことを伝えて、相手と気持ちを通わせることはできる。
これは、何年かけても身につけて本当に良かったと思えるスキルです。

整備士として「英語なんて関係ない」と思っていた私が、フィリピン、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドといろんな国で働きながら、ここまで英語を身につけられたのは、続けたからだと思っています。

特別な才能も、帰国子女の経験もいりません。
自分のペースでいいんです。
「通じた」「伝わった」その小さな嬉しさが、次の行動につながっていきます。

最後に|英語は「ツール」でしかない。でも、強力なツールだ。

英語は目的ではなく、手段。

旅をしたい、働きたい、仲良くなりたいなどなど、そのために必要な「ツール」。でも、そのツールがあるかどうかで、人生の選択肢は大きく変わります。

私は整備士という現場の仕事から始めて、英語と出会い、世界を知ることができました。

今この文章を読んでいるあなたも、きっと何かしら英語に興味があるはず。
もし「英語を話せるようになりたい」と少しでも思っているなら、ぜひ一歩踏み出してみてください。時間はかかるかもしれないけど、英語は必ず通じるようになる。

私の経験が、少しでもその背中を押せたら嬉しいです。

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